日本だけボランティアの意味がおかしい!無償と有償について海外との違い。

ハロージャパニーズ!今回は日本のボランティアの勘違いに物申すよ!

実はボランティアは奉仕活動じゃなかった?という記事内容です。

世界でボランティアは無償の奉仕だという国はきっと日本だけですよ、とこの記事内で記しています。

ボランティアという言葉の意味

日本でのボランティアの意味は調べると以下のようです。

ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。ボランティア活動の基本理念は、公共性、自発性、先駆性である。 Wikipediaより引用

自発的に奉仕する人(奉仕活動する人)、とありますね。主に災害時に活動することが多いイメージですよね。

しかし、この言葉のニュアンスが世界からするとズレている!と物申したいです。

とりあえず、まず言葉の語源から振り返ってみましょう。

ボランティア(volunteer)」という言葉は、17世紀の中頃からイギリスで生まれました。

当時は「自警団」や「志願兵」といった意味だったとのことです。

語源となる言葉にはラテン語の「volo」(ウォロと発音する言葉)があります。これは「自分から進んで何かをする」「喜んで何かをする」というニュアンスです。

つまり、「自発性」がそのもっとも中心となる性格だということです。

しかし、日本では以下のような成り行きで言葉に変化が起きました。

「volunteer」という英語は、明治の終わりから大正時代にかけて日本に紹介されたと言われています。国語辞典『広辞苑』に「ボランティア」という語が初めて掲載されたのが、1969年の第2版からだったことから、ひろく一般市民に知られるようになったのは1970年代以降と思われます。しかし、その当時は、「善意」「善行」「奉仕活動」といった、本来の意味とは少し異なる訳語で置き換えられることも多く、“一部の奇特な人、変わり者”が行うというイメージが強くありました。(中略)

日本では、言葉が紹介された時に正確な日本語訳がつけられず、のちに「奉仕活動」という本来の意味とは少し異なる訳語が使われるようになったことから、“自発性”よりも“善い行い”というとらえ方が広がってしまいました。そこから、ボランティアといえば福祉分野、という偏ったイメージも生まれたものと思われます。

そもそも、「ボランティア」ってどういう意味ですか? いつ頃から日本に登場したのでしょう?より

これは海外と日本でのボランティアは根幹の意識から異なる理由になります。

海外と日本での言葉の意味を並べると大きな違いが見えてきます。

海外:主体性を持って自主的に励む行為

日本:善意を持って誰かのために行う奉仕活動

日本では活動の基本理念に属する意味のほうに「自主性」が含まれることになってしまいました。

そして、表立った意義には本来後からついてくるはずの奉仕活動の「無償性」が出てきてしまったのです。

そこから現状では善意で行う福祉行為というイメージが定着しつつあります。

各国のボランティアの考え方

日本のボランティアは奉仕活動になってしまいましたが、各国の細かい考え方だって違うのではないかと疑問が出たかもしれません。

その答えは、文部科学省の記した調査結果(2016年4月5日)に記されているので簡単にまとめます。

世界のボランティアの考え方(タップで開く)※流し読み推奨
①アメリカ:他社や社会のために個人が自発的に行う活動。活動を通じて社会との関わりを持ち、健康増進、生きがいづくりが期待されている。16歳以上の参加率26.7%。
②イギリス:定まった定義はないが、団体に所属する「公的ボランティア」と親族以外に無償でサービスを提供をする「私的ボランティア」がある。前者は参加率29%、後者は37%になる。義務教育の内容に含まれている。
③ドイツ:「自発的な社会参加」と呼ばれ、最広義に社会サービス(社会奉仕活動)という用語がある。「補完性の原理(民間の取り組みによって課題解決できない場合に、公権力が介入する原理)」のもとに活動が行われている。14歳以上の参加率が36%。
④フランス:2種類ある。片方は非営利団体の会員のためになる業務を引き受けることか、高齢者や障害者支援団体で第三者に対してサービスを提供。もう片方は兵役が起源で、国際協力や国内の治安維持などに従事する。前者の非営利団体向けの活動参加率は15歳以上の26%、高齢者や障害者向けは9%。
⑤スウェーデン:自分や仲間のために行う活動が一般的であり、余暇の活動の一種。対人サービス等の「直接ボランティア」より、組織運営などに参加する「間接ボランティア」のが盛ん。住民の90%は1カ月に平均6時間のボランティア活動をしている。
⑥韓国:学校教育課程における事実上の義務化の影響を受けて19歳までの参加率が約6割となる。「自願奉仕活動」という言葉があり、「社会のために、自発的に無償で自らの時間と努力を提供する行為」と考えられている。全年齢の平均の参加率は14.3%。
⑦中国:「志願者活動」がという言葉があり、「自ら持つ資源を社会の他の構成員のために活用し、調和のある社会を構築すること」が目的として考えられている。正確な統計はないが、1000万人を超える人々が参加していると見られている。

アジアに近づくにつれ、感覚が似通ってきている気もしますね。しかし、中国も韓国も少しだけ違いがあります。

いつか、台風の記事で書いた国民性(日本人は何があっても仕事に行くの記事)がここにも表れている気がします。

奉仕とは、国家・社会や目上の者などのために、私心を捨てて力を尽くすことです。

韓国を除き、世界的に見ても、そんな自己犠牲心なんて欠片も必要としないのがボランティアなのではないでしょうか。

世界的なボランティアの参加状況は以下のような形となります。

日本も決して低くはないですが、その内情は異なります。

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日本のボランティア活動の種類

意味が違うと活動内容にも大きな差が出ます。

そもそも日本でのボランティア活動の内容はいったいどういうものが多いのでしょうか。

(出典:総務省統計局)

主に自らの身の回り、関連性の深いところから順番になっているようです。ここらはスウェーデンには近いのでしょうか。

この背景には、地域に根差した風習のボランティア(半強制)なども含まれています。

自発性よりもやらなきゃいけない感が強い国民性が伺えるようです。

歴史的には近年、国際的なボランティアが増えた背景もあるようです。(【統計記事】ボランティア活動の分野は10年間で変化した?!

その他のボランティア活動の種類や、年齢別・県別データを示した記事はこちらが参考になります。(ボランティア活動の参加者は26%。地域に密着した活動が中心

大きな災害ボランティアのみピックアップすると参加者はさすがに多いものです。

災害ボランティアの概数
災害人数集計期間
阪神淡路大震災138万人1995年1月 – 1996年1月
新潟県中越地震8万人2004年10月23日 – 2005年3月31日
新潟県中越沖地震3万人2007年7月 – 12月
東日本大震災102万人2011年3月 – 12年3月
広島土砂災害4万人2014年8月 – 12月

「惨禍語り継ぐ 阪神大震災20年=下=」2015年1月15日日本経済新聞朝刊39面より引用

無償じゃないボランティアもある!?

みなさんはこちらの漫画を読んだことがあるでしょうか?

 

山岳救助漫画、「岳」です。僕はマンガワンで全巻読破しました。主人公の島崎三歩が山岳救助のボランティアで活躍するヒューマンドラマです。この救助のボランティアが実は有償ボランティアなのです。

1日1万円等、相場は変動するでしょうが、捜索した人たちは救助した人や家族からお金を頂戴しています。

※これは言葉の綾で、実際は遭難者の身内などが捜索依頼しているので料金が発生していたりします。

この側面には、「遭難者の救助は一刻を争うので、人手不足の時は民間の救助隊へ出動が依頼されるから」ということがあります。(参考記事:【注意】山で遭難「命拾い」の値段は1日100万円!?捜索費用はタダじゃない)

かたや、海の救助も似たようなものでしょうが、基本無償のようです。(保険関係の充実による)


そもそも有償ボランティアという言葉で議論が起きたほど、日本ではタダの正義感が強いです。

参考記事:「有償ボランティア」って?活動に必要な交通費を支給してもらったら「有償」になるのですか?

定義としては、活動先に赴く交通費、必要な材料費、活動中の食費等の経費や、Tシャツや記念品などをもらったり、継続的な活動者が年に数回食事会に招待されたり、小物をプレゼントされるなどは無償の範囲になるとのことです。

言葉の定義と報酬関係には小うるさいようですね。

ボランティアという言葉は外国人にとってはむしろ有償も一般的だという感覚を日本人は知るべきです。

一体どこの誰がボランティアは無償じゃないといけないと決めたのでしょうね。

日本のボランティアの課題

日本ボランティア支援協会でも述べられいるように、我が国では、特別な活動というイメージが強く、活動に参加する人々は限られてきた背景があります。

しかし、本来そうではなく、日常生活にかかわるすべてのことがボランティアにつながるのです。

上記の支援協会での課題は以下のように記述されています。

1.活動における苦労
(1)苦労の内容は「メンバーが集まらなかった」ことが最も多く35.4%。
(2)「立ち上がり資金が不足していた」が次に多く、29.6%。
2.活動実施の上で困ったこと
(1)活動を困難にしている原因は「メンバーが高齢化している」が最も多く、65.3%。
(2)「新しいメンバーが集まらない」が56.7%、「中心となるメンバーが不足している」が35.9%。

なるほど、ボランティア「団体」に至っては間違いなくそれが課題となるでしょう。

しかし、自発的に行う社会活動がボランティアだとしたら、もっと認識が変わるのではないでしょうか。

何が言いたいかというと個人でもボランティアはできるし、何ならあなたもしかしてボランティア無意識にやってませんか?ということです。

日本のボランティアの本当の課題とは、ボランティアという言葉の認識を変えることと僕は発したいです。

何も団体がすべてではありません。その証たるこの人物、みなさんも記憶に新しいのではないでしょうか。

英雄といっても過言でない尾畠春夫さんです。これは何も彼のようになれ、と言っているわけでもないのです。

例えば、歌を歌って人々を元気にする人や、身の回りの人を喜ばせる人、人と人をつなげる人、社会人サークルを作る人だって間違いなく、社会に貢献してます。それが例え有償でお金をもらっていようとも、です。

このようにボランティアって世界的にはもっとハードルも低く、気軽にできるものなのです。

人を助ける形って、本当に多種多様で、それは決して自己犠牲ではないはずなのです。

2020年東京五輪と24時間テレビ

さて、ボランティアといったらこの話題は欠かせません。

結局どちらも商業性の高い利権絡みのイベントであるので、ボランティアとの親和性が低いのでしょう。

前段落で申し上げたように日本でのボランティアは自己犠牲の元に成り立ちます

2020年東京オリンピック

オリンピックに関しては前提が海外と違うのでそりゃ、他国のオリンピックボランティアのようにはいきません。

そして2020東京五輪の海外の方々の反応も面白いものです。

大きな問題は日本ではほとんどの人がオリンピックのような特別なことにさえ、簡単には休みが取れない点にあります。
私は2020の東京オリンピックでボランティアに応募することを考えていたが、この冒険には悲しいことに大金が必要だろう。彼らは宿泊施設を提供してくれない。
東京オリンピックのボランティアに学生を勧誘するために、大学はインセンティブとして授業の単位を提供し始めた。この動きは、ボランティアとは何かという疑問を引き起こします。

出典:Twitter

2018年のピョンチャンオリンピックのボランティアの情報も同時に引用します。

直近の平昌冬季五輪・パラリンピックでは、17職種・計2万2400人の募集枠に9万1655人の応募があり、競争倍率は4.1倍に上りました。ロシア、中国、米国など145カ国・地域の外国人1万2547人も応募したそうです。 東京五輪ボランティア問題はなぜこれほど炎上するのか?海外の反応は?より引用

1964年の東京オリンピック・パラリンピックとも状況は異なります。

日本の滑稽なところは、ボランティアズの自己犠牲は当然かのように、彼らの交通関係や宿泊施設などを念頭に置いていなかったところにあります。

協力者は自分でなんとかしてくれる?いやいや、自発的に動いてはくれるけど最低限の環境は整えてほしいものですね。

実際、このあたりの議論はオリンピック委員会の関係者が報酬もらうのと比較されることが多いようです。

そうできなければ、次の24時間テレビの掲げるようなチャリティーに名前を変えた方がいいと思います。

チャリティーの意味
慈愛・博愛・同胞愛または慈善の精神に基づいて行われる公益的な活動・行為もしくはそれを行う組織のこと。世界各地でチャリティーの活動・組織が見られ、それらの多くは宗教的な背景を持つ。Wikipediaより引用

24時間テレビ


みんな大好き24時間マラソン。24時間テレビは民間人のボランティアにより成り立っているのだと思っています。

実体験の24時間テレビでボランティアに参加した記事も見つけました。(24時間テレビのボランティアの話

この企画でボランティアを募るのであれば、参加者にもう一度参加したいと思わせることではないでしょうか。ただやりたくない仕事を押し付けているようだったら「愛は地球を救う」とかふざけたこと言ってはいけません。本当の愛を語るのであれば、チャリティー精神の審査に通過した人のみとかにした方がよいかもしれません。

こちらもボランティアに自己犠牲が付随している日本特有の気が見られます。

これに対しても、テレビ関係者やマラソンランナーには報酬があるというのが対比されて物議を醸しています。

ところどころ残念ですが、業界人は収入ありきという噂が後を絶たないですね。

参加する人々はお金欲しさではなく、平等性を訴えているのでしょうね。

まとめ

  • 日本ではボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す
  • 海外では、主体性を持って自主的に励む行為となり、自己犠牲の意味合いが薄れる
  • 日本のボランティア活動はまちづくりのための活動が1番多く、国際的な活動も増えてきている
  • 有償のボランティアも存在する
  • ボランティア団体はメンバー不足や資金不足に加え、高齢化も問題視されている
  • 社会に貢献することそのものが本当のボランティアで、自己犠牲など関係ない
  • オリンピックや24時間テレビは商業性の高い利権絡みのイベントであるので、日本の概念的なボランティアとの親和性が低い

さて、いかがだったでしょうか。僕がこの記事で一番言いたかったことは、Twitterとかで意外と社会に貢献してる方多いなと感じたということです。

例えば、フォロワーさん増やす手伝いをする人、埋もれた才能の宣伝に協力する人、人に役立つ知識を与えるブロガー、楽しめる歌をみんなに聴かせてくれる人等です。気がついていましたか?

お金儲けが関係していようとしていなかろうと、自発的に活動して、誰かの役に立つことを僕は新しい意味での「ボランティア」と呼びたいものです。

尾畠春夫さんのように人を助け、笑顔にする人はきっとたくさん日本にいます。

そして、今の活動をきっかけにこの言葉に親しみを持って、もっと積極的に活動できる人が増えることを祈っています。

感想

今回、ボランティアに関連深い寄付の話はまったく除きました。知ってる方も多いと思いますが、あれを記事にするとまっくろくろすけな内容しか書けなくなります

この記事をここまで読んでくださった方には、ボランティア団体には参加しなくてもいいから、どうか意識の改善と正しい見方をしてほしいです。

ちなみに僕は日本語の変化と多様性が何より大好きです。だからボランティアの日本特有の意味も別に嫌いではありません。ただ、現状の日本ではボランティアの意味合いが日本語と英語がごっちゃになっています。

言葉の表面的な意味ではなくて、感覚的なニュアンスとイメージの改善に努められたらと思ってこの記事を書きました。

また、調べてると日本人は時間的束縛や経済的束縛が強く、ボランティアに参加しづらい実情があるとの文言も見つけました。このあたりはドイツなどの労働時間を見習って、サービス残業等の報酬制度を見直す必要がありそうです。

この記事を書くきっかけとなったのは台風19号とラグビーワールドカップ2019に関係しています。

記録的な豪雨により被災地となった岩手市の釜石でボランティア活動したカナダのチームのストーリーが感動的でした。

自分たちは台風による試合中止で一次リーグに敗退したその日に、応援に対する感謝として土砂を清掃するボランティアをしてくれたという話です。

代表選手の「釜石の思いやりに触れ、すばらしい時間を過ごすことができました。日本で貴重な経験をすることができたことを感謝したい」という前向きな言葉に心打たれました。

一方、カナダと対戦するはずだったナミビアのチームも、台風の被害を受けた市民を元気づけたいという打診があって交流会を開いてくれています。

自分たちから進んでやること、その中でも人に影響を与えるいいことこそが本当のボランティアの在り方なのではないでしょうか。


さて、8000字を超えてしまったのでここまで読む人はさぞ少ないだろうと思います。なので最後に自分の話をさせてください。

僕は昔、2年間カナダに住んでいたことがありました。中学生のころになります。(細かく言うと、カナダでは中学はなく、小学校と高校しかなかったのでその2つに1年ずつ通っていました)

カナダのことが今でも本当に大好きです。その豊かでおおらかな国民性、誰とでも接する優しい姿勢、無邪気な大人たち、当時はすべてが魅力的でした。なので、ラグビーのカナダ代表のボランティアの記事を見つけた時にはとても嬉しかったものです。

そのころに僕はサーカスやアイスホッケー会場の入り口を見張るボランティアや、メープル祭りに参加していて、ボランティアは遊びのようなものだと感じていました。

授業の一環だったのか何だったのか覚えていませんが、友だちはいなくて、家族とボランティアに参加していた記憶があります。

そんな風に気軽に参加できるボランティアが日本では存在せず、しがらみも多いような偏見を持っています。

この国で生まれた特有の意味ですが、有償のボランティアも認めた上で、正しい認識が広まればと願っています。

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